戦争による国別犠牲者数
注:戦争の犠牲者数については、調査主体や調査時期によって数字が異なります。本資料に掲げた数字は、『日本の侵略と膨張』(吉岡吉典・新日本出版社)や、『一九九五年八月十五日に』(朝日新聞社)、インターネット情報などをベースに、各種調査の中でより大きな数字を参考情報として記載したものです。
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◇日清戦争 1894年7月~1895年3月 の死者数
日本 | 清 | 備考 |
1万3800人 | 3万5000人 | 清軍の死亡者は不明な点も多い |
◇日露戦争1904年2月~1905年9月 の死者数
日本 | ロシア帝国 | 備考 |
11万5000人 | 4万2600人 |
◇第一次世界大戦1914年2月~1918年11月 の死者数
連合国側 | 死者数 | 備考 |
ロシア | 17万人 | |
フランス | 135万8000人 | |
イギリス | 90万8000人 | |
イタリア | 65万人 | |
アメリカ | 11万7000人 | |
ルーマニア | 33万6000人 | |
セルビア | 4万5000人 | |
ベルギー | 1万3800人 | |
ギリシャ | 5000人 | |
ポルトガル | 7200人 | |
モンテネグロ | 3000人 | |
日本 | 300人 | 動員兵力80万人、人的損害の比率0.2% |
小計 | 約514万3000人 |
同盟国側 | 死者数 | 備考 |
ドイツ | 177万4000人 | |
オーストリア=ハンガリー | 120万人 | |
トルコ | 32万5000人 | |
ブルガリア | 8万8000人 | |
小計 | 約338万6000人 |
合計 | 約852万9000人 |
◇第二次世界大戦1939年9月~1945年9月 の死者数
枢軸国側 | 死者数 | 市民の死者数 | 計 |
日本 | 230万人 | 80万人 | 310万人 |
ドイツ | 422万人 | 267万人 | 689万人 |
オーストリア | 25万人 | 93万人(うちユダヤ系市民65万人) | 118万人 |
イタリア | 30万人 | 13万人 | 43万人 |
その他 | 約163万人 | 163万人 | |
小計 | 約1205万人 |
連合国側 | 死者数 | 市民の死者数 | 計 |
ソ連 | 1360万人 | 700万人 | 2060万人 |
中国 | 350万人 | 971万人 | 1321万人 |
ポーランド | 12万人 | 591万人(うちユダヤ系市民270万人) | 603万人 |
ユーゴスラビア | 50万人 | 121万人 | 171万人 |
フランス | 20万人 | 40万人 | 60万人 |
イギリス | 14万人 | 24万人 | 38万人 |
アメリカ | 29万人 | ||
その他 | 78万人 | ||
小計 | 約4360万人 |
合計 | 約5565万人 |
上記国を除くアジア・太平洋各国
アジア・太平洋各国 | |||
朝鮮 | 20万人 | ||
台湾 | 3万人 | ||
フィリピン | 111万人 | ||
ベトナム | 200万人 | ホーチミンの主張では1944年末から1945年にかけてベトナム北部で200万人が餓死 | |
ビルマ | 15万人 | ||
マレーシア・シンガポール | 10万人 | ||
インドネシア | 400万人 | ||
インド | 150万人 | ||
オーストラリア | 2万3000人 | ||
ニュージーランド | 1万2000人 | ||
合計 | 912万5000人 |
◇東西ドイツ分断
1945 年、第二次世界大戦に敗北したドイツはオーデル・ナイセ線以東の、東プロイセンやシュレジェン地域を完全に喪失した。これにより、戦前の領土の 25%を失うこととなった。
さらにはアメリカ、イギリス、フランス、ソビエト連邦の四カ国に分割占領され(連合軍軍政期)、1949 年、ボンを暫定的な首都とするドイツ連邦共和国(西ドイツ)とベルリンの東部地区(東ベルリン)を首都とするドイツ民主共和国(東ドイツ)に分裂した。
面積 | 人口 | 備考 | |
西ドイツ(ドイツ連邦共和国) | 248,717km² | 63,254,000 人 (1990 年) | |
東ドイツ(ドイツ民主共和国) | 108,333km² | 16,111,000 人 (1990 年) | |
統一ドイツ(ドイツ連邦共和国) | 357,121 km² | 8033 万人 (2011 年) | 1945 年以前 447,745 km² |
イギリスのウィンストン・チャーチル首相、4月 12 日のルーズベルト大統領の急死に伴い、副大統領から昇格・就任したアメリカのハリー・S・トルーマン大統領、ソビエト連邦のヨシフ・スターリン首相が出席した。この会談で日本に対し降伏を勧告するポツダム宣言の発表と、ドイツの戦後分割統治が取り決められたポツダム協定の締結が行われた。
降伏した枢軸国の将兵はシベリアなどに送還されて強制労働させられるとともに、新たに戦勝国の領土となった地域からは 1200 万人を超えるドイツ人、ポーランド人、ユダヤ人が追放され、200 万人以上が命を落とした。
◇朝鮮戦争1950年6月~1953年7月 の犠牲者
総数 | 軍 | 民間 | 備考 | |
韓国 | 約240万人 | 98万7000人 | 143万人 | |
朝鮮 | 約292万人 | 92万6000人 | 200万人 | |
南北合計 | 約532万人 (内死者350万人) |
当時の人口3500万人のうち6人に1人が犠牲になった | ||
国連軍 | 約15万人 | 内14万人が米軍 | ||
中国 | 約90万人 | 18万3000人 | 72万人 |
【参戦国一覧】
*国連軍[22 カ国]
アメリカ合衆国:兵力 25 万 3300 人
イギリス:兵力 1 万 5700 人
フランス共和国:兵力 7400 人
カナダ:兵力 5400 人
大韓民国:兵力 98 万人
オランダ王国:兵力 7200 人
ベルギー王国:兵力 5600 人
ルクセンブルク大公国:兵力 400 人
ギリシャ共和国:兵力 1000 人
オーストラリア:兵力 900 人
ニュージーランド:兵力 800 人
トルコ共和国:兵力 4600 人
タイ王国:兵力 1100 人
フィリピン共和国:兵力 1100 人
コロンビア共和国:兵力 1100 人
南アフリカ共和国:兵力 800 人
エチオピア:兵力 1200 人、その他
*朝鮮民主主義人民共和国:兵力 135 万人
中華人民共和国[抗美援朝義勇軍]兵力 100 万人前後
ソビエト連邦(実戦参加は無いが、金日成に武器を援助している。また、ソ連軍パイロットが戦っていたという情報もある。)
◇南北朝鮮の分断
朝鮮戦争当時 | 現在 | 備考 | |
大韓民国 | 2500万人 | 5000万人 | |
朝鮮民主主義人民共和国 | 1000万人 | 2000万人 | |
戦前の朝鮮半島 | 1910 年:1313 万人 1942 年:2553 万人 |
◇大規模な人口移動
朝鮮戦争の悲惨さとして指摘される点は、膨大な規模の離散家族の発生である。南北に引き離された離散家族の数を正確に集計することは不可能に近い。しかし、韓国の社会学者たちの推計によると、南朝鮮から北朝鮮に移住または拉致された人数は約30万人、北朝鮮から南に脱出してきた人数は45万人から72万人の間と推計される。これを合計すると75万人から100万人前後の人口が移動したことになる。
一般的には、北から南に移住した避難民は約300万人、離散家族の数は約1,000万人にのぼるといわれる。これは、朝鮮戦争によって、大がかりな人口移動が発生したことを意味している。
ベトナム戦争1960年12月~1975年4月 の犠牲者
総数 | 戦死者 | 行方不明者 | 民間人死者 | |
南ベトナム側 | 約335万6000人 | 28万5000人 | 149万人 | 158万1000人 |
北ベトナム側 | 約478万1000人 | 117万7000人 | 60万4000人 | 300万人 |
【戦力】
*南
延べ 2,000,000 人(1968)
南ベトナム軍(ベトナム共和国)1,400,000
アメリカ軍 548,383
韓国軍 50,000
タイ軍 22,000
フィリピン軍 6110 (10,000?)
オーストラリア軍 49,968
ニュージーランド軍 2500
*北
延べ 1,260,000 人(1968)
北ベトナム軍(ベトナム民主共和国)280,000
南ベトナム解放民族戦線 800.000
ソ連軍 3,000
北朝鮮軍 600
中国人民解放軍(高射 2 個師団)60,000(?)