2004年9月13日〜17日の4日5日間、 HNS 第5回訪中(18名)し、日中友好の交流を深めました。
13日〜15日:北京訪問
左から、張煥利様、張可喜様、本澤二郎様、肖向前様、ばばこうい様、小松理事長、張 碧清様

雑誌名   「マスコミ市民」
出版期日  2004年11月15日
題名  
   衝撃を乗り越えて明日に希望を
        −日中平和交流は不滅{下}−

        本澤二郎 様(日中平和交流21代表、政治評論家) (上記写真において、左から3番目)

北京で開かれた9・18国際学術討論会出席のため、71回目の訪中の機会を手にすることができた。1979年12月の首相訪中に同行したのが最初である。中身はないが、
ジャーナリストのはしくれとして、回数だけだと一番を走ってきているのかもしれない。
10日ほどの滞在中に、めまぐるしいほどの日程が割り込み、予想外の成果を収めることができた。シンポジウムでは、改めて中国人の弁論能力の威力と民主化の速度に驚かされたし、筆者のつたない講演に対して、学生らから万雷の拍手をもらい、これまでで最高の感動を覚えた。
 中国を知らない一部の日本人には、お気の毒としかいいようがない。世界の経済は、あげて13億人の中国に吸い寄せられている。大半の日本企業は北京・上海・大連などに工場や事務所をもっている。世界があらゆる中国情報に飛びついている、というのにだ。「中国最新情報」こそが、小泉靖国参拝という深刻な負の政治行動とも重なって昨今、情報社会の先頭に立っているのである。

        知日派最長老・肖向前さんの小泉靖国参拝批判
 北京の初日を島根県のベンチャー企業を代表する小松電機社長らと行動をともにした。小松昭夫が立ち上げたHNS研究所がスポンサーとなって、鳥取県米子市に本社のあるケーブルテレビ{SCN}が、中国きっての知日派最長老の肖向前インタビューを具体化させたものだから、貴重な歴史的証言を一緒に聞こうとしたのだ。72年の国交正常化を目前に東京に入り、周恩来の意向を受けての外交活動を、現在この人以外に語れるものはいない。86歳で日本語を駆使する。驚くべき語学の達人・老革命家にして外交官である。
 悲しいことだが、今日、右傾化した日本のマスコミは真っ当な中国報道を回避している。真実が伝えられていない。小泉内閣の反中政策に右ならえしている。その穴を埋めるために、小松が決断、SCN社長の高橋孝之が同意したものだ。民間の底力である。ここにまだ希望がある。インタビュアは著名なばばこういち。場所は市内の学苑出版社。ここで筆者の本が3冊翻訳されているが、訪問したのは今回が初めて。巨人には娘の肖紅が従ってくれていた。新華社の張可喜・張カン利も。老いても衰えようともしないカン高い日本語が会場に響き渡った。
 「私は生まれながらにして日本とつながっている。東北に生まれ、そこが日本軍に侵略されたからだ。そして日本留学、その間に革命に参加した。最初は地下運動から。以来、今日までずっと対日関係の仕事をしてきた。寥承志事務所すなわち備忘録事務所の主席代表になって訪日した。正常化前の民間外交の最後の場面だった。国交回復のための駐日連絡員として、周恩来の指示に従って働いたのだが、幸い田中内閣が誕生した」
 「大平外相が主になって国交回復を100日間で処理した。引き続き大使館に残り、参事官として前の仕事をした。平和友好条約が出来たところで北京に戻った。外交部アジア局にいるときに教科書問題が起こった。これが中国と日本の最初の政治問題となった。鈴木内閣の時で、わりかた日本の処理の仕方はよかった。それ以来、だんだん日中友好の発展にとってよくない方向にきている」
 教科書問題は鈴木内閣のころで、鈴木も文部大臣の小川平二も、筆者のよく知る政治家だった。親中派ゆえに心労が重なり「辞めたい」と何度も漏らしていた。小川が叔父にあたる宮澤喜一が官房長官だった。宮澤声明で事なきをえたのだが、このとき官僚の壁、大臣を操る官僚の威力を政治記者として初めて知ることになる。それまでは大臣の威令で官僚が動くものと信じて疑わない、情けない記者でしかなかった。
「大平内閣はよかった。政府借款は中国の基本建設に役立った」とも肖向前は強調した。莫大な賠償を放棄した中国に対しての、大平正芳らしい思いやりの政策だった。この点を中国外交部の当時の実務責任者は、過大ともいえる評価をしてくれた。筆者の初訪中は大平首相の中国訪問のさいの特派員としてだった。奇縁というほかない。
 「89年に6・4事件があって欧米は制裁を課してきたが、日本は加わらなかった。偉かった。92年にソ連が崩壊、欧米の人たちは次は中国の番とわめいたが、日本は反対した。さすがは日本人だ。私は外交のない日本と20年を寥承志事務所、のちに国務院外交弁公室で周恩来から直接指導を受けた。半世紀も戦ってきた日本と、これからどう付き合うべきか。周恩来先生はよく知っていた」
 「確かに日本はアメリカに破れ、米帝国主義のもとで蒋介石と外交を結んだ。しかし、労働者・農民・学生は民間外交でもって中国との友好に力を尽くしていた。石橋内閣になると、保守の良識が表面化した。地方の自治体も。岸の60年安保に反対運動が盛り上がり、米大統領の訪問を阻止した。池田内閣が誕生すると、大平外相ら自民党良識派、外務省の一部、通産省も一緒になって備忘録事務所を立ち上げることが出来た。プロ文革で障害を受けていた私は、71年の藤山訪中団の受け入れで再び現役復帰、大平、田中らの良識派が政権をとる前に日本に駐在した。その後に孫平化がやってきた。72年8月、まず官房長官の二階堂進、ついで田中首相、大平外相に会い、9月に国交を回復した。しかし、あとの20年は不幸だ」
「どうして不幸なのか。いまの日本人は歴史を知らない。侵略の歴史を教えないからだ。その点、ドイツは勇気がある。侵略を教えている。日本をはるかに越えている。ドイツを見習うべきだ。ユダヤ人に対するナチのホロコーストに対して、ドイツ首相はポーランドで被害者の墓前にひざまずいて謝罪を、何回もした。いまやドイツはヨーロッパの中心だ。このことを日本はわからなければならない。そうしてアジアを復興させる、中国と日本が団結すれば希望が見えてくる。福沢諭吉のアジア蔑視、脱亜入欧から卒業すべきだ」
 この下りはインタビュアの質問に対しての知日派最長老の答弁である。小泉、小沢、岡田ら日本の戦争を知らない政治家は、この言葉をよくよくかみしめたらよい。
 「我々の指導者は隣国と仲良くしよう、日本と友達になる、同士、パートナーになり、お互い助け合っていくという考えだ。いずれそうなる。いま日本は一人2万ドル、中国は3000ドル。しかし、中国の人口は多い。貿易はどんどん伸びている。既に日本、アメリカは峠を越したが、中国は成長してゆく。中国とアジアは一緒に発展してゆく。日本もこの仲間に入るべきなのだ」
 「今の日本は独立、民主、自由というが、実際にはそうなっていない。一部の日本人は、中国が強くなると日本を侵略するといってる。81年にケ小平は、将来、中国が超大国になっても、絶対に覇権を求めないと国連で演説している。対して日本は侵略の歴史を教えない。小泉は靖国に4回も行っている。まだ続けると宣言している。教科書はあいかわらずだ。ひどいのは中国の教科書を改めよと叫ぶ右翼もいる。石原のようなものが発言権を持っている。これに中国の若者は憤慨している。しかし、広範な中国人は日本人を悪いと思っていない。ただ、日本人の弱点は恥部を暴露したくないという民族性だ。現在は本澤さんのような日本人は少ない。靖国参拝を違憲とした裁判官は少ないが、いずれ多くなる。そう信じている」
 「私は楽観論者だ。日々マクロ・未来の研究をしている。21世紀の世界を、アジアを眺めているのだが、この100年の間にアジアは世界の3分の1以上の力になろう。東アジアの人々は優秀だからだ。小泉・石原は一時的な現象でしかない。今後も日本の友人は中国に寄ってくる。なぜなら中国は侵略をしないからだ。あと20年で日本と同じレベルになる。民間交流をやればよくなる。国際化は趨勢なんだ。我々は、自分が望まないことを他人に施してはならない、という諺を信じている。平等を大切にする」
 肖向前の主張は実に歯切れ良かった。彼はのちに電話で「君の紹介だから出演したんだよ」といってきた。大変な人物に信頼されたものだ。訪中回数71回ゆえか。「日中平和交流21」の火を消すことなど許されないことなのだ。友好派よ、結集せよ。
      瀋陽の9・18歴史博物館と世界一の鍾乳洞
 小松夫妻と通訳の魏亜玲らと別れて2泊3日の瀋陽の旅に出かけた。北京外国問題研究会の会員二人が案内してくれた。瀋陽は肖向前の故郷で、いまは東北随一の都市である。北京からだと飛行機でひとっ飛びの距離である。空港から市内にはいると、ここでも商用ビルや高層住宅の建設の槌音が聞こえてきた。いたるところ工事で騒がしい。  
 9・18事変を知らない中国人はいない。1931年9月18日に関東軍が、あたかも中国軍がやったように見せかけた満鉄爆破事件{柳条湖事件}である。日本軍国主義による中国侵略の謀略である。それはまた、中国人民による抗日戦争の発火点ともなった。中国人民が決して忘却することのない屈辱の日でもある。現地には「9・18歴史博物館」が建設され、史実を人々に伝えている。入り口に「数千万人の中国人民に塗炭の苦しみと中華民族の尊厳を傷つけた。日本帝国主義が武力で中国を征服する始まり」などと記してある。
 しばらく進むと1927年の田中義一内閣の「全世界を征服するには、まず中国を制すべし、もし中国を征服せんと欲せば満蒙を制すべし」との狂気の国策を資料として展示してある。なんと恐ろしい悪魔の政策であろうか。ヒトラーのナチを超える途方もない一大野望であろう。超国家主義日本を象徴しているではないか。しかも4年後に具体化させたのだ。9・18事件の5ヵ月後には東北に傀儡政権・満州国を樹立させ、その年に3000人の罪もない村民を虐殺した平頂山事件、その後に生体実験の731部隊を編成するのである。これらの資料がびっしりと展示されている。日本語でも解説してあるので、実にわかりやすい。99年にオープンしたものだ。教科書問題、靖国問題などが、こうした歴史資料館を建設させたものである。
 ここの資料によると、抗日期間{31年から45年}の中国軍民の死傷者はおよそ3500万人{死者2000万人、負傷者1500万人}、日本軍の死者約200万人という。日本軍の戦犯517人{死刑148人}。「歴史を鑑として、平和を希望し、日本軍国主義の復活を警醒する」と歴史博物館出口に記されてある。近くに靖国参拝の小泉や石原慎太郎、教科書問題の右翼学者の写真が、壁に張り付けられていた。その前には国交回復時の毛沢東と田中角栄が握手するほほえましい場面、そして筆者のまぶたにも浮かぶ懐かしいケ小平と大平が、にこやかに出会う場面だ。日中関係がもっとも明るく燃えたぎったころである。これが後にロッキード事件となって角栄を、さらに自民台湾派による内閣不信任で大平を追い込む。二人の巨人の命を縮めたのだ。大角とも命がけの政治をした戦後の数少ない政治家となったのである。
 タクシーの運転手が張作霖爆殺事件の現場を案内してくれた。9・18事件の3年前の大事件現場は、石碑が建てられていないと見過ごしかねなかった。張学良旧居や古松に覆われた東陵も一見の価値がある。清朝を成立させた初代皇帝・ヌルハチの陵墓である東陵は、瀋陽郊外の田園地帯に静かに眠っていた。案内のタクシー運転手は最近の瀋陽を「2001年から大きな変化が現れた。道路や住宅だ。住宅は1平米3000元から、いいもので4500元だよ」と紹介してくれた。確かにケ小平改革は沿海から香港周辺、そして上海、現在は西部地区とこの東北地方である。そういえば、肖向前は「わが国の市場経済は、ソ連の崩壊によってスムーズに入ることができた」というが、うなずくほかない。
 瀋陽2日目{9月16日}に市内から車で1時間飛ばすと本渓市に着く。この間、運転手と案内役の郭津が延々と隙間なくおしゃべりしていた。話題は知る由もないが、これもすごい能力だろう。関心してると、車は高速道路を右に折れて大きな鍾乳洞の入り口近くで止まった。なんと世界一の巨大鍾乳洞であることを、中に入り、石灰石の中にできた5キロにも及ぶ巨大河川に小船を浮かべてみていやおうなしに納得させられた。
 筆者の知る鍾乳洞は、涼しい穴倉というもので、地底に川が出来ていて、そこに船を浮かべて遊覧するということなど、はるかに想像のレベルを超えている。衝撃を受けてしまった。現在、世界遺産に登録するよう申請中という。水深は1・7メートルから7メートル、水温5度である。小魚もいるが、目は見えない。侵略日本軍は武器・弾薬の保管庫に利用した。
 遅い昼食を本渓市内の食堂でとる。昨夜、瀋陽市の有名な餃子店で、実にうまい餃子、それも日本人好みの焼いたのを、貴州の茅台をなめながらの味が忘れられず、この店でも注文したのだが、無念にも願いはかなわなかった。夜に案内人の宋淑ピンをせきたてて狗肉に今回で二度目の挑戦をしてみたが、これも失敗だった。

         盧溝橋・抗日戦争記念館などが国際学術討論会を開催
 9月17日に瀋陽から北京に戻ると、その足で友誼賓館に入った。翌日、盧溝橋の記念館で9・18シンポジウムの開会式と講演会が行われた。250人の大掛かりな討論会にはアメリカ・韓国・香港・台湾・カナダなどの学者も加わった。日本からも10人ほどが参加した。ところが、発言は中国語と英語のみ。語学の達人でないとどうにもならなかった。こんな場合、いつも駆けつけてくれる日中平和交流21事務局長が、衝撃的な問題発覚で協力が得られず、結局のところ初日の成果はあがらなかった。
 とはいえJR総連・JR東労組が今春、記念館内に植樹した10本の桜が健在であることを確認できた。記念館を訪れる内外の人々に、早ければ来春から美しい平和交流の桜の花を見せられるだろう。希望の桜である。松崎明が育てた平和労組は、小泉内閣による政治弾圧にもかかわらず、磐石である。13億人が支援してくれているのだ。恐れることなどない。21世紀の今日、戦前の国家主義の悪魔の花を咲かせることなど出来ない相談だ。「日本人の平和主義はいい加減なもんじゃないよ」と叫び続けた故宇都宮徳馬の遺言こそ日本人の希望なのだから。
 友誼賓館から記念館の往復のバスで駱為龍{元中国社会科学院日本研究所長}、金熙徳ら日本研究の第一人者と意見交換することができた。おおいに参考になった。夕食後、記念館の若い研究員がホテルに送ってくれた。そのとき、ふとしたことから彼は、中国の女性問題について「地方にいくと、まだ主人と妻が別々の卓で食事をしているところがある。女性の不倫は厳しい目で見られており、社会的制裁を受ける。それゆえ女の不倫は少ない。しかし、離婚は多くなっている」と教えてくれた。男尊女卑を当然視する儒教は地方ほど根強いのだろう。女性に対しては、とことん厳しい中国社会のようだ。
 しかし、それでいて外交面だと、この国の人々はえらく寛容なのだ。「中国文化は優しい。それが裏目に出ているのが中日関係だ。日本はつけあがるばかり。小泉靖国参拝がその典型で、政府もようやく気付いてきている。それなのに日本問題は相変わらず慎重にと、政府は学者に対しても圧力をかけてきている。問題だ」とぼやく日本研究者は少なくない。その学界にも「若い研究者は博士号をとるのに懸命で、本当の日本を学んでいない」と嘆く専門家がいる。上海の女性活動家ともなると「中国の大学には日本研究所が必ずある。ところが、そこへと日本企業や日本政府のカネが流れている。本物の日本研究がなされていない」と鋭い批判をしている。日本の知られざる金銭外交なのだ。これを日本国民も知らない。また「インターネット社会では政府による言論統制はできない。先進国と同じだ」と学者の一人は指摘したものだ。
 こうした発言が飛び出すところに中国の民主化を見て取れよう。シンポジウムで政府批判を堂々と自己主張し、それに会場の中国人エリートたちが拍手するのである。2日目の分科会で知ることが出来た。分科会において課題が日本問題のために、人民大学留学生の堀江正樹が通訳してくれたお陰で討論内容が理解できた。
 「私はラウル族だ」と胸を張る記念館館長の王新華は、多少酒の入った前夜祭の場で筆者に向かって「小泉の靖国参拝は間違っている」と何度も叫んだ。日本国民への伝言を託そうというのだろう。「南京大虐殺は30万人、20万人だろうが、大虐殺が消えることはありえない」とも。意気投合して白酒で乾杯した。9・18討論会の開会式に元北京市副市長の白介夫が元気そうに壇上中央に陣取っていた。日本代表が日中友好協会会長だという。かの平山郁夫かと思ったが、名前が違う。なんと日本共産党系だった。小泉戦争に加担する公明党に代わって、共産党が浮上したものか。開会式会場入り口に社会党解体の主役とされる村山富一の大きな写真が飾られていたのも妙だった。
 式典のあとの講演でフィッシャーという米人弁護士が「世界世論の圧力で日本に侵略の罪を認めさせるべきである」という趣旨の講演を行った。中国の学者は教科書問題を取り上げた。日本のマスコミが大々的に宣伝した「新思考」論に対して、「中国の学者の中で支持したものは数人程度だった」との指摘もあった。「石原慎太郎は右翼団体の代表で歴史を否定している」と真っ向から批判する古参の専門家もいた。「石原は台湾独立を支持し、中国分裂を叫び、中国人をシナ人と呼ぶ。完全な反華分子だ。彼は日本軍国主義が中国侵略を失敗したことを忘れている」と批判する一方、「中日両国は絶対、戦争してはならない。やれば両国とも損害をこうむる。中国は半分失っても生存でき、必ず勝てる。石原のいうとおりにならないし、させない。平和しかない。石原はキチガイだよ。トルーマン回想録の中に世界で征服できない国が2つある。ロシアと中国だとね」とも断言した。駱為龍は小泉靖国参拝を強く非難すると同時に「正しい歴史教育を」と日本政府に訴えた。シンポジウム2日目、筆者も発表した分科会では、日台関係の動向、日本右翼と台湾独
立問題が取り上げられた。威勢のいい人民日報の林治波は「日本が政治大国を希望するのであれば、ドイツを見習うべきだろう」と指摘した。「トヨタはタイでつくった車より質の悪いものを生産している。自分の利益だけだ。お互いの利益を考えていない。要注意だ」とトヨタにかみついた。確かに、中国ではホンダの人気が高い。
 「戦後の日本軍事戦略」のテーマで李樹泉という学者は「70年代から専守防衛から攻撃的に変わった。2003年に有事立法を成立させて、これにより独自に世界の戦争に参加できるようになった。実力からみて既に軍事大国になっている。したがって、歴史認識を解決しないと、アジア諸国から警戒されるだろう」との分析と警鐘を鳴らした。東北出身の学者は「既に日本に軍国主義は復活してる」と決め付けた。その理由として小泉靖国参拝や石原発言を取り上げた。「日本軍国主義の亡霊が今もさ迷っている」とも。
 北京師範大学の著名な学者が「日本の右傾化は止められない。普通の国も」などと現状追認の発言をすると、分科会は俄然、熱気を帯びた。林治波が激しく噛み付いたのだ。「新思考」への反論がしばし続いた。会場から支持する強い拍手が相次いだ。関連で、市民運動をしている女性が「今の政府は一部エリートの政府で庶民・大衆の政府ではない」と激しく政府批判をすると、これまた熱狂的な拍手である。これには圧倒されてしまった。中国の民主化はすごい速度で進んでいるのだ。
 当然のこととはいえ、歴史認識で日本に譲歩するような敗北主義は、今の大中国で多数を占めるなどということはありえないだろう。市場経済は拝金主義を招来させ、人民の体と心をボロボロにしがちだが、こと歴史認識という人民のよって立つ基盤は磐石である。このことは日本人民の精神の衰退を回避させてくれるであろう。この場のやりとりに筆者も、ついうれしくなって輪に加わってしまった。希望である。
 こんな発言もでた。「中国の新聞を見ていても、わからないことが少なくない。まだまだ、民主主義が遅れている」と。再び拍手である。日本はどうか。日本も同様ではないか。「歴史認識を棚上げする新思考はありえない」と発言すると、会場は沸いた。著名な学者は沈黙するしかなかった。「たとえ普通の国、軍国主義を阻止できなくても批判をしなければならない」という主張に分科会の意思は一本化した。なんと靖国神社にペンキをかけたというハンサムな若者も発言した。

        感動の清華、北京、外交学院の3大学で講演と講義
 筆者が中国人で初めて知り合った古い友人の徐啓新{当時中国青年報記者}が、清華大学教授の劉江永と連絡をとってくれたおかげで、秀才が集うキャンパスで講演会を開くことが出来た。二人とも日本研究の第一人者として知られる。後者は拙著「中国の大警告」を翻訳したい、と連絡してきた知日派でもある。いまや清華大学の人気学者としての地位を確固たるものにしている。
 午前中に外交学院を訪れ、副教授の徐家駒、李濯凡、田鳴らと構内で昼食をとり、午後講義をさせてもらった。ゆっくりと日本国憲法、特に9条をわかりやすく解説した。ちなみに日本の大学生でも知らないものがいる。高校卒の社会人ともなると、わからないもののほうが多いくらいだ。学生に9条を読んでもらい、肌に触れてもらうのだ。そして現実はどうか、へと移る。あるいは20条の政教分離を説明して、小泉靖国参拝が違憲であることをわからせる。
 急いで宿舎の北京外国語大学賓館にとってかえした。2スターの安ホテルだが、電話の調子は4スターの友誼賓館よりよかった。そこへ徐啓新が車で迎えに来てくれた。講演は清華大学の270席の階段教室で行われた。「靖国問題と小泉内閣」という課題がよかったせいか約350人の学生で、パンパンにふくれあがった。床に座るもの、立見席と参加者数は申し分なかった。
 なぜ小泉靖国参拝なのか、それを国内の政治・経済・マスコミ、交際関係の視点から分析を試みた。リベラルが後退し、国家主義台頭の自民党、財界に操られる民主党と言論界、国家主義のワシントン・ブッシュ政権が、靖国参拝をより可能にさせている。他方、国・地方の借金1000兆円、不良債権で衰退した日本財閥という戦後最悪の危機が、戦争体制化に拍車をかけている。だれも語れない真実の日本の内実に、学生たちはおおいに驚いたらしい。真剣にメモをとるものも少なくなかった。
 一段落すると、まさに万雷の拍手が会場を圧倒した。万雷の拍手など、そう体験できるものでない。こんな場合、講師のほうが感動するものだ。質問が相次ぎ、途中で打ち切るしかなかった。秀才たちの中には、壇上にかけより質問をぶつけてきた。うれしい悲鳴は3時間以上続いた。
翌日、午前中も外交学院で講義をした。20人ほどの学生は皆まじめだ。教えていても気分がいい。日本の大学で味わえない瞬間である。午後、新華社記者の徐兆栄が取材に訪れた。その後、友人の中国新聞記者の劉利生が感じのいい喫茶店に案内してくれた。孫林、徐少明、張   の3人の学生が付き合ってくれた。国家観光局東京事務所に勤務してたころ知り合った日本語上手の陳輝が、西単にある北京の人気レストラン「天津百餃園」に夕食に招いてくれた。そこは陳夫人の高海波がマネジャーをしてる店だった。外国人客が多い清潔でおいしい餃子料理に3人の学生は大喜びだった。
北京滞在最終日の9月22日も大忙しだった。午前に北京大学OB会会長の張碧清が訪ねてきてくれて、外交学院院生の王夢飛と昼食をともにすると、その足で同学院図書館で講演会を行った。終わると9・18シンポジウムで知り合った孫恵軍が、北京大学の王勇と清華大学留学生の島美奈子を伴って現れ、北京大学博士課程の学生が待ってる中関村の高層住宅街に案内された。建設されたばかりの立派な博士の卵の住宅環境に驚いてしまった。大学構内にある学生寮とは、天地雲泥の差がある。そこの集会所で講演会を開いた。
思うに中国の誰もかれもが小泉の靖国参拝に怒っていた。当然だろう。被害者として裏切られということが、どういうものか。加害者は72年の国交正常化の共同声明、続く平和条約で反省したはずなのに、小泉はこれでもかこれでもかと裏切り続けている。個人の間でも裏切りは、すごい衝撃を与え、時には生命さえも危うくするものだ。小泉の靖国参拝は、中国の人民・政府・党にとって正に衝撃である。
筆者は今回の学生たちとの交流、そしてシンポジウムでの活動をとおして、衝撃を乗り越えて明日に希望を託すことが出来たように思う。日中平和交流に汗をかこうとする市民の参加を、切に期待したい。    

{敬称略}   2004年10月10日記



(c) 2005 Human Nature Science Institute