お問い合せ
HOME トピックス朝鮮半島と日本列島の使命悠久の河-和の文化を創造世界の平和と水の偉人イベント出版物研究所の歴史アーカイブス電子書籍
周藤彌兵衛翁について
周藤彌兵衛翁
八雲町の山麓から流れ出る意宇川は、江戸時代初期には急屈折と蛇行を繰り返す川でした。そのため、大雨の時はたびたび堤防が決壊し、地域全体が泥海化する水害が多発しました。その惨状を憂え、慶安三年(1650)から3年間、新たに直進する川筋に変える「川違(かわたが)え」と「切り通し」の工事に取り組んだのが、日吉村(現在の松江市八雲町日吉)の豪農周藤彌兵衛家初代家正でした。その祖父の遺志を継いだ3代彌兵衛良刹は、宝永3年(1706)56歳の時から、延享4年(1747)97歳に至る実に42年もの年月をかけ、工事をやりとげました。巨額の私財を投じ、百歳近くまで孤軍奮闘の努力をした良刹の人間像は、今に至るまで語り継がれています。
さらに、明和3年(1766)に6代兵蔵の追加工事が行われ、その後、水害は激減し、旧河道の地内には広い田畑も生まれ、地域の繁栄と人々の幸せにつながりました。良刹は宝暦2年(1752)102歳の天寿を全うしました。

案内板『表面』へ 案内板『裏面』へ



8月1日水の日 島根県松江市八雲町日吉親水公園へ「周藤彌兵衛翁像」建立

2014年8月1日の水の日に、松江市八雲町親水公園に日吉切通しを作った
周藤彌兵衛翁の大銅像を建立。
銅像の設置工事から当日の贈呈及び除幕式の様子をご覧いただけます。


※大きな画像を見るには写真をクリックしてご覧ください。