お問い合せ
HOME トピックス朝鮮半島と日本列島の使命悠久の河-和の文化を創造世界の平和と水の偉人イベント出版物研究所の歴史アーカイブス電子書籍















治水の偉人 周藤彌兵衛

岩を切りつづけて42年、意宇川の流れを変えた周藤彌兵衛

古来から、出雲の国・意宇郡日吉村(島根県八束郡八雲村)を流れる意宇川は数年おきに洪水を繰り返す暴れ川でした。この世と黄泉"よみ"の国(死の国)との堺である聖山としてあがめられてきた剣山に流れをさえぎられて、強い雨が降るとたちまち氾濫し、田畑や家を、ついには村の人々の命までも奪い去ってしまうのでした。

そんな洪水の苦しみから、村人を救うために立ち上がった一人の男がいました。日吉村で下郡"したごおり" (大庄屋)をつとめる周藤彌兵衛は洪水の元凶である岩山・剣山をくり貫き、意宇川をまっすぐに流れるようにしようと決意したのです。

宝栄3年(1706年)、56歳にして一念発起した周藤彌兵衛は、剣山を切り抜く工事に取りかかりました。以来42年間、くる日もくる日も槌とノミでで岩を切り開くという苦業に立ち向かい、ついに延享4年(1747年)、97歳にして「日吉切通し」を完成させ、意宇川の流れを変えることに成功したのです。 宝暦2年(1752年)周藤彌兵衛は102歳で大往生をとげました。それから240年余りの歳月が流れた今日、「日吉切通し」を流れ落ちる水音は絶えることなく、流域の人々に意宇川の恵みをもたらしています。